2012年05月15日

come here go there

◆いよっしゃっーーーーー!久しぶりに書くでぃ!Tuesday イズ 書くday!イズの踊り子!アダムとイズ!

◆よく「村上って一日中世界のいろんな壷のこと考えてるんだよな?」と確認される僕だけど、実際にはあんまり壷のことを考えたことはなくて、石原裕次郎さんとか、石原裕次郎さん的なことについて考えたりしてます。

21世紀の石原裕次郎さんこと、徳重聡さんの昨今の活躍ぶりを持ち出すでもなく、この先、石原裕次郎さんとか美空ひばりさんのような大スターって現れないような気がします。

それは現代の個々人の能力が劣っているからではなく、スターを構築する環境が昔とは違ってしまったからだと思うのです。
メディアが限られていた昔、手に入る情報もすごく限定された中ではあこがれの対象としてのスターの選択肢も少なく、ひとたび流れが作りだされればそれが実り、語り継がれることはそれほど難しくはなかったような気がします。

対照的に、いまは情報の量も選択肢も増え、それぞれにお気に入りの娯楽を楽しむことができるようになり、全体としての熱量は昔とは比べ物にならないほど高くなっていても、誰か一人が全国民的なスターだという承認を受けるのは難しい環境のように思います。

そういう、紅白歌合戦的で国民的なグルーヴ感の欠落を寂しいと思う気持も理解できるけれど、どちらが幸せかと問われれば………やっぱりいまの方が喜ばしい、と思います。
なければなかったでそれなりに満足できていたのかもしれないけれど、多くの中から選べる可能性があることは嬉しいし、そのことによって自然とばらけ、収まったスケール感にも好感が持てます。なんとなくだけど、抱えきれないほどに過剰なものごとは後にそのツケをしっかり払わせるような気がしていて、そういう流れがいろんなものを決定的に損なってしまうことに対する恐怖がすごいある。

ひと昔前なら買い物をする時には都会まで出て一日かけていくつかの百貨店を巡っていたのが、いまや郊外型のショッピングセンターに出かけ、ひとつの百貨店とたくさんの専門店を見て回ることのほうが効率的で楽しいと感じることってありませんか?
僕自身、ショッピングセンターで過ごすことを心地よいと感じていることで、今を生きる人間として首根っこを押さえられている気がして、そこには人として社会的に何か学べることがあるような気がします。

ふと思うのは、専門店的に生きようとする人にとって、ショッピングセンターで生き残ることが以前よりも難しくなっているのかな、と。昔、商店街で専門店を営んでいたのと店が集まっているという形態としては同じでも、いまや人は自転車に乗ってくるのではなく遠くから車でやってくる。その心の距離の縮め方や消費のされ方に身体的なスケールで違和感が伴うような気がして。って何書いてるのかわからないですね。ポエムだと思ってください、ポエムだと。


少し話は逸れますが、こないだ道を歩いていると10代後半の女性が「スポーツカーよりプリウスに乗ってる人のほうがカッコいい」と言ってて妙に納得してしまいました。実利的というか、効率的というか。

お金持ち+オシャレ+他(のオトコ)と違う=スポーツカーという計算式が成立しない、というか関心を持たれない中、プリウスの性能に対する評価がそれを選ぶ男性の評価に直結していることになるほどなぁと。そこに車へのロマンはないけれど、説得力がある。

無論、いまも昔もスポーツカーに乗っている男性が好きな女性はいるだろうし、世間で注目されているスターが放つ魅力を否定はしないけれど、僕としてはそういったムーブメントとは関係なく、それぞれが性能で評価できる、ややシビアでクールないまの雰囲気とスケール感が気にいっています。

compact【コンパクト】小型で中身が充実していること。
clump【クランプ】塊。

そういう言葉にいいイメージが付加される今日このごろ。

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「顧客の創造」というのが関心を持ってもらう、欲しいと思ってもらう、というところからさらに一歩踏み込んで、共に暮らす喜びを育てたり、未知の体験へ飛び出す手助けをする、ということまで含めたとき、それを楽しめるのかどうか。とか。

……ポエムだと思ってください、ポエムだと。もしくは壷の話をしていると。
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2012年05月10日

プレイボール

◆単刀直入。主賓の挨拶前にのっけからケーキ入刀。の勢いでプライド、について。

以前、先輩と仕事の話をしていると「気合いが足りない」とか、「嫁さんの顔を思い出したらもっとがんばれるはず」的な精神論に話が転がっていったことがありました。生活の中で精神的な車輪が回らないと進めないことがあるのは百も承知だけど、それを重視しすぎてもロクなこたぁない、という経験則があったので、内心(やだなー。ヤバいなー。)と思っていました。そのまま一本道で終わりの見えない先輩の話は続き、最終的に村上には男としてのプライドはあるのか、みたいな展開に。

「こだわり」という言葉と同様、「プライド」という言葉にもあまりいい印象ってない。けれど自分にプライドらしさを強いて見つけるなら、いいと思ったことは自分の文脈になかったことでもわりかし素直に取り入れるところかな、と。
そう思ったので、「(成長を妨げるような)プライドがないことにかけてはプライドがありますっ」と言った瞬間、先輩のスウィッチを入れてしまったご様子。

「プライドがないことにプライドがある……!?」と復唱されてからのことは面倒臭くてもう忘れちゃったけど、そこ、そのまま受け止められると辛い。

この話は2年くらい前のことですが、印象に残っているエピソードなので何度も反すうするように思い出してきました。
最近になって思うのは、プライドにしても何にしても、ひとつの概念は油みたいなものなのかなぁと。ある人にとってのプライドはここ一番のがんばりどころで潤滑油となって、いつも以上にギアの回転をスムーズにするものなのかもしれないし、僕のような人間には冷蔵庫から出したばかりの固いバターのように、トーストに塗るのにも一苦労する厄介なシロモノだったりします。だから僕としては扱いに困るプライドはできるだけ冷蔵庫の奥にしまっておきたいし、必要な場面ではあらかじめ出して柔らかくしておきたい。

何を勝利と呼ぶのかも人それぞれだけれど、そこにいたことを嬉しく思える、という気持が共有できることを勝利と仮定したならば、誇りやプライド、気高さといった心構えも、言葉の響きとは対照的に柔らかくしておかないと機能しないんじゃないか、というのは屁理屈かしらん。



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あ、そもそも人と共生することを望んでいない人がいるのか。そういう人にとってのプライドって、「アンタとは違うんだよ」と意思疎通を妨げることが目的だから固くていいのかもしれない。そうなるともう、耳にイヤホン突っ込んで頭から布団かぶって寝ちまうに限りますね。書いてて発見。世界・ふしぎ発見!

次は石原裕次郎さんと選択肢について書きます。
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2012年05月07日

マミレル

◆おひさしぶりです。おひさしぶりすぎて、どんな風に何を書いてたのかおもひだせない。
言うなれば、おもひだせないでぽろぽろ状態。平成狸合戦ぽろぽろ状態。

てなことを言いながら、村上もそれなりによろしくやっておる最中。いま気づいたんですけど「さなか」も「もなか」も同じ漢字!「いま、最中喰ってる最中」ってなんかすごい!「まさか!いま魚焼きながら最中喰ってる最中!」ってどうだ!!

えー、まぁそんな心境かな。結構上手く現時点での心境を吐露できたのではないかと。中トロ。

「まさか!いま中トロを口に放りこみ、ブログに心境を吐露しながら最中を手に取ってる最中!」ってどうだ!!

僕が毎日こんなこととショートカットの女性のことばかりを考えている間にも、みんな働いていて…


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BOTANISTのフライヤーができたワン。家具町工房パンフレットに続いてまたしてもグッとくる仕上がりに。言うなればしあがり寿。女装社員 薔薇のヴァネッサ。

ここしばらく、またformroom OSAKAのみなさまに可愛がっていただけていることはホントにありがたやありがたや。そしてもうかれこれ6年前に(6年!)今日のご縁を結んでくださった秋田先生にはひたすら感謝。


最近よく思うこと。

人として仕事のスキルやクオリティをおざなりにはできないけれど、そういう目に見える花弁の部分「だけ」見ていてもアカンのよなぁと。他の人が働きやすくなるようにひとつ前の段階でモノを準備しといてくれるとか、ギッチギチにキツい状況で冗談を言ってくれるとか、そういう優しさを演じられる根っこの部分が大切なんだなぁと。

甘っちょろい考えかもしれないけれど、借り物の視線を拠り所にモノゴトをシビアに評価するのではなく、自分との関係の中でモノゴトを育んでいけるような生き方がしたい、とすごい思う。

そう言えば、プライドについて書きたいと思てたんやった。
思い出すのもグッタリするゴールデンウィークが終わったので、さほど間隔を空けずに書きたいと思います。
ではでは。


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しばらくしたら妻が髪をばっさり切るらしい。しめしめ。
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2012年04月25日

Blue In Green

◆つ☆い☆に☆!BOTANISTの情報が解禁になったがなー!

BOTANISTの晴れ晴れしい、大切な門出の日に「がなー」とかコテコテの関西弁つこたらアカンのかもしらん。
って、「つこたら」も「アカン」も関西弁ちゃうのん。
って、「ちゃうのん」も関西弁やし。ウチ、どないしたらええのん。
って、「ウチ」も「どない」も「したら」も「ええのん」も関西弁て!
もーっ!!関西人のあほー!

と、救いようのない村上とは対照的にむっさシブいことを始めようとしてはるBOTANIST。

の!写真を!村上が!撮らせて!いただきましたーーヽ(゚∇゚(゚∇゚(゚∇゚o(゚∇゚)o゚∇゚)゚∇゚)゚∇゚)ノ!

以下、写真どーーーん!


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ヤバい。完全にこの人らやってしまはる気ぃや。いってしまわれる気ぃや。
正直、村上ごときが立ち会ってええんかと思うくらい鮮烈なことやろうとしてはる。

けど、せっかくだからどんどん「いっちょかみ」していくよ(はぁと)!
街で村上がBOTANISTのみなさんの鞄持ちをしていても優しく見守ってね!
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2012年04月18日

On My Way

◆先日、Ninth[ナインス]のダイクさんと庭師の井本さんのお仕事が一段落したってんでふらっと行ってきましたー。


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ダイクさん、こんちゃーす!…働いている。


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井本さん、こんちゃー…働いている。


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♪しーかたーがなーいのでやーきそばたーべた(やぎさんゆうびんの替え歌)。
またしてもダイクさんにおごってもらっちった☆☆、っていう。

お二人が手掛けられたのがこちら。


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おぉぉー。なんかすげー。


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黒いホースからお水がまんべんなく染みわたっていく仕組みなんですってー。
世界って…広くて深い!


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一見寂しいようだけど、時間が経つとこんもりになるんですって。
そういう育っていく過程を街行く人に楽しんでもらえるのも植物の魅力だと。

なんかその、見えない時の移ろいをみせるっていうのも芸だなぁとか、普段、自分がいかに無時間的に生きてるか、とか思いました。

柄にもなく、植物と寄り添ってみようかとさえ思う日々。
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Handkanten Akt

◆こんばんわぁ、ふくやまぁまさはるです。あんちゃん(←いまだに!?)。

◆まぁなんだ、とりあえず写真だ。かけつけ1枚。

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2012年04月07日

ベッドルームディスコ

◆うぃーーっく。

earth music & ecologyのー、ブランドページが夏バージョンに変わったっすねー。今回も凛としている。

例によって…


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またせっせと壁紙をダウンロードしてはニンマリする日々が続きそうです。

以上、ふつおたのコーナーでしたー。
おたよりをくれたラジオネーム「ベランダのプランター」さんには…ボールペン!

◆草間彌生さんの話ぃー。

現在、大阪では「草間彌生 プライヴェートインスタレーションと新作版画展」や展覧会「草間彌生 永遠の永遠の永遠」が開催中で盛り上がっているようですが、陸の孤島でひっそりと暮らしているムラカミはどうもどちらも行けそうにないっぽいし、そんな盛り上がりとは無縁の話を書き夏期講習。

ずいぶん前に聞いて深く印象に残っている草間さんのエピソード。


1人の画家は、分裂病になったために、妙な独特の象徴画を制作し出して、名を売った。この患者の厳格妄想的不安状態を薬で抑えると絵が書けなくなってしまう。患者に対して、絵は書けなくても薬で安静を得たいか、苦しんでも絵が描けた方がよいか、いずれを取るかと尋ねると、苦しんでも描ける方がよいと言い、三十年も病気に苦しみながら絵を描いている。病苦を耐え忍ばせて絵を描かせるのか、病を治療して絵を描けなくするか、これは問題の存するところであるが、結局は当人次第なのであろう。


西丸四方さんという精神科医が書かれた本に載っているそうです。苦しんでも絵が描けた方がいい、という選択肢を選ぶという行為からして、いや、むしろその選択こそアーティスティックだなぁと。なんか、このエピソードを聞いて草間さん個人に限らず、広く一般にも当てはまる問いのような気がしました。
仮に楽になれる薬があったとして、苦しんでもいまの仕事がしたいか、とか。苦しんでもこの場所に住みたいか、とか。苦しんでも自分でいたいか、とか。
そこまでの二者択一を迫られるわけではない状況が幸か不幸か。
ある意味、選択を迫られることで覚悟が決まる、というのもあるのかしらん、と。
対岸の火事だったはずのエピソードが知らぬ間にこころに燃え移っていた、そんな感じで自分の中に草間さんの場所が広がっていく。

改めて自分に問う。

仮に楽になれる薬があったとして、いや、もっとすごい、仮に朝起きたら福山雅治さん(ムラカミと同じ誕生日)になれる薬があったとして、お前は飲むのかね、と。それを断って、苦しみがありながらも自分であることを望むのかね、と。


結論。福山薬があったなら…どんぶり一杯お茶漬けにして飲むわ。さらさらさら〜って。あ、すいませーん、こっちおかわりです〜って。ムラカミ、ばいばーい、って。

◆しかし現実はムラカミ。そして飽きもせず写真。


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2012年04月02日

Kiss and Music

◆そりゃぁまぁ、技術革新の度に開発者の方はご一報くださいとまでは言いませんけれどもー。あのぉ、最近インターネットをしていると、こう、ブラウザのスクロールバー。あれをこう、くくくーっと下までおろしましゃぁね。で、もう少しで終わりだなー、そろそろ「Next」だの「→前へ」だの、どっちがどっちやらよぉわからんリンクをクリックせななぁって覚悟でもってネットサーフィングをしておりますと、次の瞬間、ずこーんってか、べろーんってか、断りもなく続きが伸びる場合があって、あれされるとなんかすごい疲れる。

こっちにもその、リズムっつうもんが。調べものをしてたけどこのページにないんなら潮時だな、とか、今年のベイ・スターズは去年までとは違うチームだな、とか、まぁいろいろ考えながらやっておるわけで。それを乱されると、画面からべろーんと漂うエンドレス感つうか、ビューティフル・ドリーマー感つうか、そういうネバーエンディング・ストーリー具合にぐったり。ファーーールコーーーーン!

以上、ふつうのおたより(通称ふつおた)のコーナーでした。
おたよりをくれたラジオネーム「ベランダのラベンダー」さんには…ステッカー!

◆前の話の続き(みたいなもの)。

なにかを覚えておくこと、忘れずにいること。
それらについて思うとき、忘れたくないことのために「場所」を設けるイメージが広がります。
あくまで意識の上で、なのだけれど、こころの中に物理的なスペースを用意して、窓を開けて空気を入れ替え、さっと掃除機をかけて座布団をぽんと置く。そうすることで、そのことを受け入れる準備ができる。

少し話は逸れますが。

「モテる」ってのもそういうことなのかなぁと。一般的に「モテる」とは異性からキャーキャー言われることになってますが、広義で、年齢を重ねた意味で言うと「だれかの中に、自分の場所をモテる」ことなのかしらん、と。

繋がり、絆、コミュニケーション。自分も含め、とかく人は見えない糸で結ばれたがるけれど、モテる人は繋がってなくても「ここ」にいる。その、ヒトという生き物のワンダフルな側面に賭けてみたいと。

◆次は草間彌生さんについて思ったことを書こうと思います。またきてね。

◆写真、どーん。

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シャッターを切る感覚で。
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2012年03月31日

2012年03月27日

あなたと私にできる事

◆先日のダイクさんと井本さんに遊んでもらった日の夜…


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その足で大阪のオフィス街に行ってきたさー。


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お目当ては橘画廊さんで行われていた宮本佳明氏の個展「The Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant Shrine: Pacifying Malevolent Gods(福島第一原発神社〜荒ぶる神を鎮める〜)」。

宮本佳明氏と言えば…


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実家近くの「ゼンカイ」ハウスへ写真を撮りにいったこともある、とても関心のある建築家の方。
その方が福島第一原発に焦点を当てた個展をされるとあれば、これは目にしておきたいと。

中に入ると…


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スペースいっぱいに福島原発の模型が。
近寄って見てみると…


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原発の上に神社風の屋根が乗った模型。

宮本氏の書かれた解説によると…


最も必要なことは(中略)危険なものを危険であると知らしめること、本来それもまた建築の大切な役割であるはずだ。(中略)アイコンとなる木造大屋根を建屋に付加することを提案したい。しかもそれは、寺社殿が戴くような大仰で様式的なデザインのものが良い。敬しても、決して近寄ることは許さない、荒魂を祀るアイコンとしての和風屋根である。


と。
その宮本氏の考えが、読んで以降ずっと頭に残っていた内田樹氏の

荒ぶる神の鎮め方
原発供養

の中の

原子力についても、そもそもその設営のときに、伝来の古法に則って、呪鎮の儀を執り行うべきだったと私は思う。
(中略)
荒ぶる神がとりあえずは「よきこと」だけをなし、恐るべき力の暴発を抑制してくれていることを感謝するのである。
私はふざけてこんなことを言っているのではない。
日本人は「こういうやりかた」をするときにいちばん「真剣」になるからである。
ほんとうに「こういうやりかた」をして原発を管理運営していたら、今回のような事故は起こらなかっただろうと私は思う。
それは私たちのDNAの中に根を下ろした「恐るべきもの」との「折り合い」の仕方だからである。
呪鎮の目的は「危険を忘れ去ること」にあるのではない。
逆である。
「恐るべきもの」を「恐るべきもの」としてつねに脳裏にとどめおき、絶えざる緊張を維持するための「覚醒」の装置として、それが必要だったと私は申し上げているのである。
現に一神教文化圏では原発は「神殿」に収められていた。
彼らのDNAの中に残る「超越的なものを畏怖する気持ち」をONにしておくために、そのような装置を用いたのである。
それに倣うなら、私たちの国では「塚」に収め、神社仏閣を以て封印すべきだったのである。


という記述と繋がるものがあり、模型を前にしばし立ち尽くしました。

正直に言って、いま何をすることが「正解」なのか自分では判断できない中、何をしていても飲み込めない「後ろめたさ」を感じてしまいます。「何かをする」ことが「何かをしていない」ことと結びつく、その束縛される感じの息苦しさの中、せめて過ちに背は向けまいと。
消費者と生産者、被害者と加害者。言葉ひとつで力が作用し始め、それぞれの立ち位置が決まるのなら「この国に住むもの」という大きな言葉を受け止めて。
今日も風に舞う「日本人らしさ」を忘れないこと。いつだって、今日も、明日も、そこからしか。

◆話の内容に伝える語り口までひっぱられるのってなんともだらしがないけれど、事実だらしない男だから仕方ない。
次もまた、だらしなくこの話の続き(みたいなもの)を書こうと思います。もう少し軽めに。カルメン。
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