◆よく「村上って一日中世界のいろんな壷のこと考えてるんだよな?」と確認される僕だけど、実際にはあんまり壷のことを考えたことはなくて、石原裕次郎さんとか、石原裕次郎さん的なことについて考えたりしてます。
21世紀の石原裕次郎さんこと、徳重聡さんの昨今の活躍ぶりを持ち出すでもなく、この先、石原裕次郎さんとか美空ひばりさんのような大スターって現れないような気がします。
それは現代の個々人の能力が劣っているからではなく、スターを構築する環境が昔とは違ってしまったからだと思うのです。
メディアが限られていた昔、手に入る情報もすごく限定された中ではあこがれの対象としてのスターの選択肢も少なく、ひとたび流れが作りだされればそれが実り、語り継がれることはそれほど難しくはなかったような気がします。
対照的に、いまは情報の量も選択肢も増え、それぞれにお気に入りの娯楽を楽しむことができるようになり、全体としての熱量は昔とは比べ物にならないほど高くなっていても、誰か一人が全国民的なスターだという承認を受けるのは難しい環境のように思います。
そういう、紅白歌合戦的で国民的なグルーヴ感の欠落を寂しいと思う気持も理解できるけれど、どちらが幸せかと問われれば………やっぱりいまの方が喜ばしい、と思います。
なければなかったでそれなりに満足できていたのかもしれないけれど、多くの中から選べる可能性があることは嬉しいし、そのことによって自然とばらけ、収まったスケール感にも好感が持てます。なんとなくだけど、抱えきれないほどに過剰なものごとは後にそのツケをしっかり払わせるような気がしていて、そういう流れがいろんなものを決定的に損なってしまうことに対する恐怖がすごいある。
ひと昔前なら買い物をする時には都会まで出て一日かけていくつかの百貨店を巡っていたのが、いまや郊外型のショッピングセンターに出かけ、ひとつの百貨店とたくさんの専門店を見て回ることのほうが効率的で楽しいと感じることってありませんか?
僕自身、ショッピングセンターで過ごすことを心地よいと感じていることで、今を生きる人間として首根っこを押さえられている気がして、そこには人として社会的に何か学べることがあるような気がします。
ふと思うのは、専門店的に生きようとする人にとって、ショッピングセンターで生き残ることが以前よりも難しくなっているのかな、と。昔、商店街で専門店を営んでいたのと店が集まっているという形態としては同じでも、いまや人は自転車に乗ってくるのではなく遠くから車でやってくる。その心の距離の縮め方や消費のされ方に身体的なスケールで違和感が伴うような気がして。って何書いてるのかわからないですね。ポエムだと思ってください、ポエムだと。
少し話は逸れますが、こないだ道を歩いていると10代後半の女性が「スポーツカーよりプリウスに乗ってる人のほうがカッコいい」と言ってて妙に納得してしまいました。実利的というか、効率的というか。
お金持ち+オシャレ+他(のオトコ)と違う=スポーツカーという計算式が成立しない、というか関心を持たれない中、プリウスの性能に対する評価がそれを選ぶ男性の評価に直結していることになるほどなぁと。そこに車へのロマンはないけれど、説得力がある。
無論、いまも昔もスポーツカーに乗っている男性が好きな女性はいるだろうし、世間で注目されているスターが放つ魅力を否定はしないけれど、僕としてはそういったムーブメントとは関係なく、それぞれが性能で評価できる、ややシビアでクールないまの雰囲気とスケール感が気にいっています。
compact【コンパクト】小型で中身が充実していること。
clump【クランプ】塊。
そういう言葉にいいイメージが付加される今日このごろ。
「顧客の創造」というのが関心を持ってもらう、欲しいと思ってもらう、というところからさらに一歩踏み込んで、共に暮らす喜びを育てたり、未知の体験へ飛び出す手助けをする、ということまで含めたとき、それを楽しめるのかどうか。とか。
……ポエムだと思ってください、ポエムだと。もしくは壷の話をしていると。
